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04.18.21:31 [PR] |
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10.01.03:31 学生にとっての英語を学ぶ目的に関する考察 |
タイトルがやけに論文っぽいが、以下の議論は素人の構成なのであらかじめご了承ください
さて、
最近、というか高校生のときから「英語って必要だよね、てへっ」
という会話をよく周りで聞くし、自分も言ってきた
しかし、
振り返ってみると「英語を学ぶ目的」がしっかりしている人を見たことがない
「外国人と喋りたいから」
では、なぜ外国人と喋りたいのか?
僕の場合、このように突き詰めていくと、
最終的にいつも
「効用の最大化」という目的にたどり着く
「いつも」だ
目的をいくつかのグループに分類してみる
1.必要性が非常にあるから
周りがイングリッシュスピーカーばかりで英語がわからないと生活できない、かつ自分の喋れる言語を使える人が周りにいない、などの場合である
この場合、例えば海外の大学に一人でいる学生などを考えるかもしれないが
そもそも、ある程度語学力がないと大学に入れてくれないので、この状況は考えにくい。
大学に限らず、このような状況ならば「英語を学ばなきゃ」と思う前に身についてしまうだろう
このような状況をいつでも抜け出せるのであれば、抜け出してしまえば英語を学ぶ必要性はなくなるし、
このような状況を抜け出せないのであれば、否応なしにそのまま身につくだろう
問題は、このような状況が「たまに」あるの人だ
しかし、その人もなにかの目的があってそのような状況に身を置くはずである
つまり、英語を学ぶ目的はそのままその状況に身を置く目的に帰属する
わかりやすく言えば
英語による経済学の授業を受けている学生がいたとしよう
彼は英語がわからないので、もちろん経済学もわからない
さらに、周りは全員イングリッシュスピーカーである
そんな彼は「英語を学ばなきゃ」と考える、当然
しかし、その目的は「経済学を学ぶこと」である
さらに突き詰めれば、経済学を学ぶことによって将来仕事に活かす
仕事に活かすことで年収アップ!
年収アップすることでいろいろ楽しめて自己満!
ということである
「経済学の研究者になる」という目的でも上とまったく同じ論理で突き詰められ、同じ目的(自己満)に収束する
2.必要性がある(んじゃね?)
役立つから、有利だから(就活などに)などの類である
・外国人と話し、文化に触れるなどの知見を広げるため
・外国人と友達になりたいから
・給料を増やすため
・通訳、CAなどの仕事をしたいため
・動けるフィールドが広がるため
などである
知見を広げる、経験を積むなどは完全に自己満だろう
知見を広げてモテたいだとか、アイツよりよく評価されたいだとかである
給料系の話も1での議論を見れば明らかに自己満
外人と友達、知り合いになりたい系もよくあるが
そういうやつはたいてい外国人ならだれでもいいのである
つまり、「英語をしゃべれる人と友達、または知り合いのこんな僕(わたし)、どう?」
的な要素がたっぷりある
こういった部類の「思い」の深層心理には人間のいやらしさが如実にでると思う
3.自己満のため
これは、「かっこいいから」とかの類である
・海外に行く名目を作るため
・ル―大柴から脱却するため
・このグローバリゼーションの時代における「常識」だから
・「英語を話せるイコール国際人」とわざわざ勘違いをするため
・言語において国際化が遅れているこの島国において、差別化を図るため
・公共の場で英語喋ってると「ほーら、周りのバカどもわかんないだろ~www」となるため
・続けて、「ほーら、僕(わたし)ってなんてかっこいいの、あへっ」となるため
などである
この部類の動機が一番多いように思われる
これは自明だが、自己満そのものである
4. なんとなく
「語学力はあってもありすぎることがない」ということである
以上から、英語は必需品ではないということがわかる
当然である
英語を話さずして幸せに死んでいった人を数えたら枚挙にいとまがない
つまり、結局英語を学ぶ目的は自己満なのである
自己満つまり「効用」を高めることが目的なのだ
そもそも、人間は自分の効用を高めるために生きているようなものだ
これは全くもって正しい行動だと思う
それに「行動する」という意味では(例えば留学)むしろ歓迎すべきことである
だから、「英語を話したい目的は?」と聞かれたら
声を大にして言おう!
「自己満です!!」と
さて、
最近、というか高校生のときから「英語って必要だよね、てへっ」
という会話をよく周りで聞くし、自分も言ってきた
しかし、
振り返ってみると「英語を学ぶ目的」がしっかりしている人を見たことがない
「外国人と喋りたいから」
では、なぜ外国人と喋りたいのか?
僕の場合、このように突き詰めていくと、
最終的にいつも
「効用の最大化」という目的にたどり着く
「いつも」だ
目的をいくつかのグループに分類してみる
1.必要性が非常にあるから
周りがイングリッシュスピーカーばかりで英語がわからないと生活できない、かつ自分の喋れる言語を使える人が周りにいない、などの場合である
この場合、例えば海外の大学に一人でいる学生などを考えるかもしれないが
そもそも、ある程度語学力がないと大学に入れてくれないので、この状況は考えにくい。
大学に限らず、このような状況ならば「英語を学ばなきゃ」と思う前に身についてしまうだろう
このような状況をいつでも抜け出せるのであれば、抜け出してしまえば英語を学ぶ必要性はなくなるし、
このような状況を抜け出せないのであれば、否応なしにそのまま身につくだろう
問題は、このような状況が「たまに」あるの人だ
しかし、その人もなにかの目的があってそのような状況に身を置くはずである
つまり、英語を学ぶ目的はそのままその状況に身を置く目的に帰属する
わかりやすく言えば
英語による経済学の授業を受けている学生がいたとしよう
彼は英語がわからないので、もちろん経済学もわからない
さらに、周りは全員イングリッシュスピーカーである
そんな彼は「英語を学ばなきゃ」と考える、当然
しかし、その目的は「経済学を学ぶこと」である
さらに突き詰めれば、経済学を学ぶことによって将来仕事に活かす
仕事に活かすことで年収アップ!
年収アップすることでいろいろ楽しめて自己満!
ということである
「経済学の研究者になる」という目的でも上とまったく同じ論理で突き詰められ、同じ目的(自己満)に収束する
2.必要性がある(んじゃね?)
役立つから、有利だから(就活などに)などの類である
・外国人と話し、文化に触れるなどの知見を広げるため
・外国人と友達になりたいから
・給料を増やすため
・通訳、CAなどの仕事をしたいため
・動けるフィールドが広がるため
などである
知見を広げる、経験を積むなどは完全に自己満だろう
知見を広げてモテたいだとか、アイツよりよく評価されたいだとかである
給料系の話も1での議論を見れば明らかに自己満
外人と友達、知り合いになりたい系もよくあるが
そういうやつはたいてい外国人ならだれでもいいのである
つまり、「英語をしゃべれる人と友達、または知り合いのこんな僕(わたし)、どう?」
的な要素がたっぷりある
こういった部類の「思い」の深層心理には人間のいやらしさが如実にでると思う
3.自己満のため
これは、「かっこいいから」とかの類である
・海外に行く名目を作るため
・ル―大柴から脱却するため
・このグローバリゼーションの時代における「常識」だから
・「英語を話せるイコール国際人」とわざわざ勘違いをするため
・言語において国際化が遅れているこの島国において、差別化を図るため
・公共の場で英語喋ってると「ほーら、周りのバカどもわかんないだろ~www」となるため
・続けて、「ほーら、僕(わたし)ってなんてかっこいいの、あへっ」となるため
などである
この部類の動機が一番多いように思われる
これは自明だが、自己満そのものである
4. なんとなく
「語学力はあってもありすぎることがない」ということである
以上から、英語は必需品ではないということがわかる
当然である
英語を話さずして幸せに死んでいった人を数えたら枚挙にいとまがない
つまり、結局英語を学ぶ目的は自己満なのである
自己満つまり「効用」を高めることが目的なのだ
そもそも、人間は自分の効用を高めるために生きているようなものだ
これは全くもって正しい行動だと思う
それに「行動する」という意味では(例えば留学)むしろ歓迎すべきことである
だから、「英語を話したい目的は?」と聞かれたら
声を大にして言おう!
「自己満です!!」と
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